地方行政
 日本は高度経済成長期の豊かな時代を経て、バブル経済に踊らされその後崩壊という今まで体験した事のない経済低迷時代を迎えました。その間地方は国の政策に従い補助金行政を続け、借金を膨らませながら再度経済発展の夢を追い続けました。税金を投入する公共事業で多くの人が食べてこれたのは事実ですが、その借金のために社会福祉や教育に十分な予算を充填できないようになりました。そのツケとして地方の自立に絡めた補助金縮小政策を国が進める結果になりました。

国の政策も場当たり的だったと思いますが、地方自治体も議会も市民も「どうせ税金だし、国が借金してもいいというのだから箱物はあったほうがいい」といった安易な考えでお金を使ってきたのではないでしょうか。私たち市民も、本当に行政が担うべき分野は一体何なのか真摯に考えなければならない時期(少し遅いですが)にきたと思います。
 私は、公共政策を行う自治体は本来民間にできる部分からは手を引き、どうしても支援の必要な分野に縮小していくべきだと考えています。小さな政府ならぬ小さな自治体行政です。
そして、政治家は税金の使い方をしっかり監督し、その税金で行う事業が一体市民の生活をどうよくするために行う政策か見極めなければなりません。これからの議員に必要なスキルは政策評価だと思います。

教育
 私は8年前キリスト教婦人矯風会が支援するフィリピンの女性団体へ支援物資を届けるための視察旅行に同行しました。そこでは華やかなリゾート地として多くの外国人観光客を受け入れるの一面と、郊外にいくと広がるスラム街では学校も行けない人々が共に生活する社会を目の当たりにしました。発展途上の国独特のエネルギッシュさを感じるものの、スラムでの生活から抜けられない社会格差はこの国の負の課題なのだと思いました。ですが、とても驚く事にそこでゴミのやまから売れるものを拾って生活している子どもたちは、厳しい生活を強いられているにもかかわらず目が輝いているのです。3畳ほどのバラック小屋に黒板を置き、20人ほどの子どもたちが教会のボランティアで教育を受けていました。その子どもたちは、自慢げに自分達の教室を案内してくれました。
多くの物に囲まれた恵まれたはずの日本の子どもたちは、なぜ輝きのない目をしているのでしょう。
私は教育を受けられる環境をあたりまえと思う子どもたちに、もっと世界を見る目を育てるべきだと思います。今ある平和で豊かな社会に感謝する心を育てていく教育をする事が、日本の地位を上げる最も重要な政策だと思います。日本は本当に豊かな国です。もっともっとではなく、今ある豊かさにまず満足すべきでしょう。私が在籍した高校の壁に目標が貼ってあって、そこには「国際社会に生きるよき日本人」とありました。そのためには、正しいものを見極め、自分の考えを自分の言葉でしっかり伝えることができる力をつける教育をするべきではないでしょうか。

福祉政策(子育て支援)
 私は議員になる前から子育て支援を中心とした活動を行ってきました。国も地方も、これまで子どもを持つ親が働きやすい環境づくりを目指して保育支援を充実させてきました。そして、専業主婦の孤独育児や社会からの孤立が問題となり虐待やネグレクトなの対策として、相談や相互補助制度、サロンなど子どもを持つ親同士の交流支援へと拡充されていきました。ですが、子どもにかかる費用の増大と出産による仕事との両立は相変わらず難しく出生率の上昇まではいたっておりません。子どもを産みやすく、育てやすい環境づくりは政治がかかわるべき問題です。資源のない国だから、技術力、生産力で海外企業に対抗しても、そこで働く人たちが子育てしやすくなければ国力は維持できないのではないでしょうか。

(障害者支援)
  昨年小1の長男が下校途中に交通事故に遭いました。目だった外傷はなかったのですが、脳の神経中枢がずたずたに引き裂かれるびまんせい軸策損傷という怪我で3ヶ月を北里大学病院、その後3ヶ月七沢リハビリセンター病院に入院しておりました。息子は奇跡的に回復し、12月から元の小学校に復学しているのですが、救急車で搬送され2週間の間集中治療室で低体温治療を受け、小児病棟に移ってからも2ヶ月間は意識が戻りませんでした。目は開いていても、何も見えず、聞こえず、口からの飲食ができず、無意識のうちに右手が反応するだけでした。医師にどうなるのかをたずねても、これが回復の限界かもしれないと言われたこともありました。そのとき、全く動けず意識のない息子を私は一生守っていく決心をしました。この子が意識が戻ってきて、自分ができないことの多さに落胆し嘆き悲しんでも、生きていてよかったと思えるように全力で支えていこうと思いました。そして息子を含めて様々な障害を持つ人が暮らしやすい社会に変えていけばいいと誓ったのです。
私たち家族は後天的障害とこれから向き合っていくのですが、障害を持つ子どもたちを支える親や周りの人達がどのような思いで暮らしておられるのか身に沁みて実感しております。
ノーマライゼーションの社会実現に私は生涯取組むつもりでいます。

平和な国
 日本に生まれて、戦争を知らない世代の子どもたちとして育ちました。長崎で生まれたので、祖母から原爆の話や、戦争の悲惨さは重々叩き込まれました。頭では理解していたつもりでいた戦争は実はもっと怖いものでした。私はフィリピンで日本軍に占領され、おや兄弟を殺された上、従軍慰安婦として連行された女性たちと面談し体験談を聞くことができました。それは聞いていても耐えがたい屈辱と、あきらめるしかなかった女性たちの悲惨な体験に涙をとめることができませんでした。彼女らは日本人をもう憎んではいない、戦争が悪いと私たち日本人女性に手を差し伸べてくれました。今世界では戦争がビジネスとして扱われ、
日本も隣国の脅威を強調し憲法9条改正を進めようとしています。戦争は必ず弱い民間人が犠牲になります。国を守るための正しい戦争なんてありえないのです。先ずは私たち女性がわが子を戦場に送る事がないようにしっかり平和を守らなければならないと思うのです。私は平和運動を推進します。

地域の力
 私は綾瀬市の中心に位置する中村に居住しています。そこの鶴が台住宅団地に3年前引っ越してきて地域の皆さまと親しくさせていたいております。親は仕事で昼間留守がちなのですが、子どもたちは学校から帰ってくると地域の皆さんの声かけがあり、安心できるようです。息子の入院時は長女に声をかけ励ましてくださったり、家族全員がこの地域で生活できる事に心から感謝しています。
綾瀬市には地域によっては若い核家族世帯が多く近所が疎遠なところもあります。
地域には様々な世代の人が住んでいて、たくさん知恵があるのにそれをまちづくりに生かしていただきたいと思うのです。
学校を中心とした異世代交流や、シルバーPTAなど新しく活動をしようとする団体のバックアップを提案します。

佐竹ゆりの考えている事